鶴岡銀座の歴史年表

history

1601s
慶長6

商人町の中心=通り丁(現銀座通り)

○1601(慶長6)最上義光により現在の馬場町辺りに、町をつくる
○1608(慶長13)最上義光、今の内川(元赤川)に初めて木橋を架ける

1623s
元和9

清川街道、酒田街道、鼠ヶ関街道の幹線道路に沿って町がつくられる

○町割の基本方針は、侍の住む町と町人の町をはっきり分けること
○1623(元和9)大手門より東500mの直角に交わる「通り丁」(=現銀座通り)という主要道路が中心

1623s
元和9年

1623(元和9)〜1800s にぎわう通り丁(現銀座通り)

○町人町は、内川右岸の通り丁沿いに、14町置かれる
○間口6間(10.8m)、奥行25間(45m)の1軒役
○各町ごと市日があり、他に職業(渡世)を持ち店を構えていた 
○町方13町に火消し組があった

1876s
明治9

三島県令による道路開削と羽越線の開通

○1876(明治9)時の県令・三島通庸による街道と橋の拡幅
○1887(明治20)荒物商組合
○1921(大正10)赤川大氾濫
○1924(大正13)羽越線全線開通(上越線全通は昭和8年)により、鉄道輸送が加速的に発展、大山街道・三瀬街道の衰退、
 南部商人町地域衰退

1929s
昭和6

近代化に向けて

○1929(昭和6) 任意組合数62
○1956(昭和31)協同組合鶴岡銀座商店会発足
○1959(昭和34)ネオンアーチ鈴蘭灯の大改装(皇太子御成婚記念)
○1971(昭和48)鶴岡銀座会館竣工
○1986(昭和63)アーケード第1期工事完成(県内初の電線電話共架方式)

1988s
平成2

町を上げての行事への取り組み

○1988(平成2)コミュニティプラザ(セントル)完成
○1989(平成3)アーケード全工事完成
○1990(平成4)第1回庄内藩旧家に伝わる古代雛展開催
○1993(平成7)銀座寒ダラまつり
○1996(平成10)まちづくりアトリエ(コアラ)開設<早稲田大>
○2001(平成15)ぎんざ鍋対決(セントナリー広場)
○2019(令和元)まちづくりスタジオ 鶴岡Dadaリニューアルオープン

2050
令和32年

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